シャツとソックスの日記

@shatsutosokks の日記帳です。

2022/11/21「パーティでDaft Punk流すのやめていただけませんか?」

 

最近徐々にパーティに呼ばれるようになったが(インキャなりの自慢だ)、行くとだいたいDaft Punkがかかっている。

最初は良かったが、ある日突然、前と同じように高まれなくなってしまった。

 

曲はドアンセムなのでかかっていて場が盛り下がるということはない。なんなら私も、会場ではインキャなりにタコのごとく踊っている。だっていい曲だから(例えば↓の曲を聞いてみよう。PVの後味は気にするな、もし気になるなら他の曲のPVも見よう)。

 


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前と同じようにDaft Punkを聞いているのに、前までと同じように高まれなくなったことに突然気づいたわけだが、こういう経験をするたびに、全く同じでいられない自分に悲しくなる。

自分ではいつも同じ自分であるはずなのに、何かが私を変えているということを受け入れられないし、受け入れたくない。そういうのはもっとこう、腹肉が隠しきれなくなったり、耳の裏から異臭がするようになったり、朝まで酒を飲むことができなくなったり、血圧が高くなって医者から生活改善を勧められたり、そういう方面からきてほしいと思ってしまう。

 

いつまでも同じ自分でいたいなあ。

 

2022/11/19「ジョン・ウィック」

Twitterがいつダメになるかわからないので、はてなブログにもいろいろ残しておくことにした。noteは……運営が嫌いだから使わない。

 

今日は「ジョン・ウィック」を見た。

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まあ、ストーリーや演技にあんまり気を配ってもしょうがない、西洋人が時代劇やってる感じの映画だが、妙に見やすかった。

たぶんその理由は、カメラが1つのところに比較的長く留まっているからなのだろうと思う。そのおかげで、ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)が相手を殴った蹴った寝技をかけた(そして相手は死ぬ)という一連のアクションを把握しやすくなっている。これは嬉しかった。

あと、NYのような、ごみごみして暗殺向きの街の近くで暮らしているのは引退したからなのかと思ってたけど、あのロシアンマフィアのボスに家バレするくらいだから案外長く暮らしてたのかな。もっと最初に頑張るか息子を差し出すとかすればよかったかもしれないが、ボスやってるならあっさり息子を切るわけにもいかないか。喧嘩を売る相手を間違えるとこうなってしまいますよ、という教育的な映画かも。

 

もっと一般的なことを書くと、こういった巨大組織に立ち向かう系の映画を見るたびに、社会の複雑さに驚いてしまう。

この世界は機械が発展すればするほどとてつもなく複雑になってきていて、なんだったら「ジョン・ウィック」の中では殺し屋の世界ですら複雑になってきている様が描写されている。依頼人-殺し屋-ターゲットの関係性というシンプルな関係性から、この社会の発展に合わせて殺しの現場の掃除サービス、セーフハウスになるホテル、銃や弾薬をどこからか調達してくれるサービスetc.と、それを利用する知識が殺し屋に求められている。それは私が年末調整をするのと同じように、殺し屋の社会を生き抜くために必要なスキルになってしまっている。

そうやっていろいろな仕事が生まれ、どんどん全体が見えにくくなり、見えないものは存在しないものになってくる。本当は複雑なのに、シンプルな見え方になってくる。そうやって分割していけばいくほど、行政や会社のように複雑さをある程度コントロールする存在の力が強まっていくし、そこから抜け出したらどのように暮らしていけるのか想像がつかなくなる。

 

まともなままで生きていくのが大変な世の中になってしまったとつくづく思う。私はどうやって生きていけばいいんだろうなあ。