シャツとソックスの日記

@shatsutosokks の日記帳です。

2023/01/02「たまゆら」「たまゆら〜hitotose〜」

今日は「たまゆら」と「たまゆら〜hitotose〜」を見終わった。ネタバレあり。

 

 

どんな話か軽く書く。

沢渡楓(さわたり ふう)は、写真を再び始めた。また、亡くなった父親の故郷である広島県竹原の高校に進学する。どちらも、父親が死んでしまったあと疎遠になっていたものだが、再び向き合うことにしたのだった。

戻ってきた竹原で、楓には幼馴染の塙 かおる以外にも友達ができた。お菓子作りが好きな岡崎 のりえ、やりたいことをいろいろと探している桜田 麻音(さくらだ まおん)の2人だ。楓とかおると今あげた2人をあわせた4人がメインキャラクターとなって話は進んでいく。

という話だ。

 

全体的なこのアニメの感想としては、面白かった! 何か足りない部分があるキャラクターたちが、竹原という場所を舞台に小さな幸せを見つけていく、という9話くらいまでの展開はかなり丁寧だ。

それだけで終わるのかなーと思いきや、その後の10話から12話までの話をつなぐストーリーになる「私たち展」という要素も良かった。「私たち展」は、その名の通り「私たち(さっきあげたメインキャラ4人)」を展示するという企画になっている。それが立案され、準備し、実際にやるまでがアニメでは描写されているのだが、どこか欠けていたりふわふわしているような私たちの「今」を肯定し、記録していくというのは(キャラクターにとっても、視聴者にとっても)かなり気持ちいい作りになっていたと思う。

また、そこのドラマ、特に11話は個人的にかなり刺さった。

 

11話は、「私たち展」の中で麻音が展示するものを見つけ、それへの練習をする回。

麻音はまだやりたいことがはっきりしておらず、マンガとか手品とか、いろいろな興味を持つタイプの子だ(麻音とのりえが楓と友達になったのも、麻音が楓の写真を見たのがきっかけになっている)。そんな子なので、「私たち展」に何を展示するのか、他の3人と比べてなかなか決まらない。その中で朗読をしたい、という話になる。

 

この回の好きなところはいろいろあるのだが、第一には朗読の練習をするところで、どんどん逃げ場がなくなっていく感じが好きだ。小さな街の小さな人間関係も相まって、ふんわりした気持ちで始めた朗読であってもどんどん逃げ場がなくなっていく。できなかったらどうしよう、というのは誰しも思うことだが、追い詰められ方の描写が丁寧だなあと。

第二に、実際に朗読をする場面にはカタルシスがあったと思う。結局、舞台に立つまで(そもそもここで逃げ出したり、ヘラヘラして適当に済ませたりしないのがまずすごい)、麻音は舞台で言いたいことを見つけられなかった。しかし、最後、舞台でそれを発見する。ここは本当に、見ていて気持ちよかった。

作る人は、一生言いたいことを発見して表現することの繰り返しになるので、手放しにこれに感動していいのかはちょっと疑問ではあるが、それはそれとして感動したのも事実だ。

麻音のように、言いたいことはあるのにそれを口に出したりできなかったり、あれもこれもと目移りしたり、形から入ってしまうキャラには少し共感するところがあるのかも。

 

この作品の監督は佐藤順一さんで、「セーラームーン」や「おジャ魔女どれみ」、「ARIA」といった長寿作品に関わりがある人だ。「たまゆら」もこの2シリーズ以外に、アニメ2期とOVAもあるらしいので、それも見てみようかな。

 

あと、なんで竹原なんだろう? と思って調べてみたら、そのものずばりではないが、面白い資料があった。いわゆる「聖地」になってしまった、竹原側の事情も記した資料だ。

guides.lib.kyushu-u.ac.jp

たしかに自分がアニメの舞台に行く時、あまりその地にはお金を落とさないかも。ただまあ、それはそれで合理的な判断の結果だ。

あくまで行く側(オタク)は舞台になった景色が見たいのであって、それ以外にはあまり重きを置いていないのだから。客が来る施策も打たないで客が来ないと言われてもねえという感じ。私はこの記事読むまで竹原に行きたいなーと結構思ってたけど、なんだか行く気が失せてしまったな。

 

それはそれとして、今年は佐藤順一作品をコツコツ見る年にしていきたいなあ。