普段からヒップホップやラップなどのカテゴリーに属する音楽をよく聞いているのだが、そこではよく「韻」の話が出てくる。
私にはこれがどうして美しいのか、本当によくわからない。そのセンスが私には欠けている。
(↓こんなこともセンスがないから出てくる)
もしかして、ちんことインドって母音全部一緒??
— 五月マヨ (@shatsutosokks) 2022年12月13日
とにかく、音楽や詩に触れた時、韻が原因で感動したことが記憶の限り1回もない。
特に音楽を聞いている場合、韻を踏んでいても気づけないし、踏んでいるからなんなんだという気分になる(特に、韻をめっちゃ踏んでてすごい! などと言われている時は)。
難度の高い縛りプレイみたいなもんなのかなあと勝手に思っているが、それがここまで誉められる根拠みたいなものが自分の中に全く見つからない。私も「歌詞のあそこでこういう韻でたたみかけてくるのがいいね」「ああいう韻の踏みかたは天才的だ」みたいな褒め言葉を使ってみたいのだが、全部ウソになってしまうので使えない。
理由もよくわからないのだが、これは自分で歌ったり朗読したりする経験をこれまで全く積んでこなかったことに原因があるのだろうか。私にとって、歌詞や詩はずっと読むものだった。自分で声に出して歌ったり朗読してみるという機会は、これまでの人生でほとんどなかった(カラオケに行く目的が歌詞の朗読だったことなんて1回もない)。
自分で朗読などをしてみて、韻を踏んだものを後から追いかけたら「ああ、韻ってこんなにいいものなんだ」って感じられるのかな。そもそもそういうセンスに欠けているというだけの話だと悲しいので、たぶん自分ではしないだろうなあ。
とはいえ、いつか押韻の良さを感じてみたいと思っているのもまた本当なので、今週もまたヒップホップ / ラップの新譜を漁ろう。