今日はこの本を読んだ。最近、本がなかなか読めなくなってるんだよなあ
堤康次郎という人物は私にとって、今の西武グループの基盤を作った人であり、Wikipedia ソースだけどぶっ飛んだエピソードが多くあるような、なんだかよくわからない人だった。
図書館でたまたまこの本を見つけたので借りてみたんだけど、うーん、あんまり面白くはなかった。なんでかというと、私が読みたい内容ではなかったから。
この本は、最初に以下のような内容を述べている。そして「事業活動の全容をできるだけ実証的に明らかに」しようという方針にはブレがない。
なお、本書では康次郎の政治家としての側面や家族関係には立ち入った言及をしていない。というのは、康次郎の旺盛な事業活動の全容をできるだけ実証的に明らかにし、彼の生きた時代の中に位置づけ、堤康次郎という稀有な実業家の実像に迫ってみたいと考えているからである。
この本のほとんどは「なんとかというソースによると、堤康次郎が(経営する/実質的に支配する)〇〇という会社は、いついつにどのようなことをした」という記述で構成されている。
しかし、堤康次郎という人物を語る時に彼の企業家という側面だけ注目するのは、片手落ちと言われてもしょうがないのではないだろうか。そして片手が落ちているだけならまだしも、この本はおそらく残ったもう片方の手の指も何本かエンコ詰めしている。
というのは、この本でやっていることは企業家・堤康次郎の資料紹介にすぎないからだ。その資料は信頼できる資料なのか? といった資料批判や、資料をもとに導かれる著者の洞察といったものを、この本から読み取ることは難しい。
個人的には、約100年ほど前の不動産広告に、どれくらい信ぴょう性があるんだろう……とか、ぼかして書いてるけど、子会社設立の意図は事実上支配下に置いている会社同士に取引させることで帳簿を操作しやすくしようとしたのでは? とか、いろいろツッコミたくなるところがある。
あと、著者の堤清二(堤康次郎の次男)へのスタンスも気になる。
堤康次郎の「本質」(まあ、レバレッジを効かせてビジネスをする、ということみたいだけど)を受け継いだのが清二で、「形」を受け継いだのが堤義明(三男)であるというのがいいたいことみたいだけど、そのためにわけのわからない「家産」と「事業」という分類が最終章でいきなり登場する。
どうやら著者は堤清二にご縁のある方みたいだけど、だからって無理に上げようとしなくても……と思ってしまった。あれは何が言いたかったんだろう。