- 古典とは何か
- 日本の各時代における、古典の扱われ方
- 古典のある日本に生まれたということ
の3つに分けられる。
個人的に面白かったのは、「古典のある日本に生まれたということ」の部分だった。この部分では、昔から今まで、古典を読んでいるというのがアイデンティティを確認する一つの手段だったということを書いている。私も同じ理由で古典を読んでいる節があったことに気付かされ、それが面白かった。
世界には古典のある地域と、そういった書物がない地域がある。別にどちらが優れているというわけではない。ただ、古典のある地域では「古典を読むこと」が、読んだことがあるという経験が、私たちはどこから来たのかを規定する一つの材料になる。
この日記で感想を書いてるのって↑みたいに明治に入ってから書かれた本ばっかりなので、古典と言っていいのか微妙ではある。ただ、そういうアイデンティティの確認目的で自分が昔の本を読んでいるというのは否めない。
また、昔も今も私と同じような理由で古典を読む人がたくさんいたということに加えて、本書に書かれていた「古典の読み方」というのも面白かった。
古典を読むことを通じて、古代に理想を見出す人々がいる。大昔で言えば本居宣長になるのだろうし、もう少し近代に来てみれば戦中に古典にまつわる批評を書いた小林秀雄などになるのだろうし、さらに最近でいえば……誰になるんだろう? 知らんけど。
まあ誰かは置いとこう。この本を読んでいて思うのは、そういった古代に理想を見出す人々に、自分も一歩間違えたらなるだろう、ということ。
たぶん、昔の人々が今の私たちと同じくらい理性的であるということを、忘れてしまうかどうか。そこが一歩の違いを生み出しているんだろうなと思う。
昔の人間も、今の人間も、根拠に基づく推論をする能力はそこまで進歩していないはずなのに、そこがわからなくなっちゃうかどうか。
感じたことはだいたいそんなあたり。
個人的には読んでいてけっこう楽しい本だった。
ただ、これを読んで「よっしゃ! 私も明日から古今集を読んでみるぞ!」とか、「源氏物語を(伊勢物語とかでも可)読むぞ!」となるかと言われると、微妙な気もする。
古典の何がどう面白いのか、を説明するよりも、古典を読むことがお前たち日本人の精神性にとってどういう意味なのか説明するぜ……というノリなので、いまいち説得的ではないというか。昨今流行りの、布教スタイルってわけじゃないからかなあ。
だから、古典を読んで何が良いわけ? と思っている人にはちょっとお勧めしづらいかも、と感じた。