今日はドストエフスキーの最初の小説「貧しき人々」を読んだ。
めちゃくちゃ面白かった。
帝政ロシアの首都、サンクト・ペテルブルクに住む、マカールさん(40代後半・男)とワルワーラさん(10代後半・女)の間で交わされる手紙のやり取りを通じて話が進んでいく小説だ。
特に、マカールさんというキャラクターが素晴らしかった。私にとっては、この小説の魅力はかなりの程度マカールさんでできている。
ここからネタバレあり。
マカールさんは下級の役人で、仕事は人の書類を清書すること。
下級役人ゆえに暮らしは収入は少なく、なんならなけなしのお金をワルワーラへのプレゼントに使っているため、生活はカツカツだ。
そんなマカールさんのような中年のおっさんが、21世紀の日本にもたくさんいる……と思う。そういうキャラクターを生み出したドストエフスキーとこの小説は、それだけで価値がある。
裏を考えてしまうような気色の悪い優しさ、踏み込んでほしいがゆえに言う(ように思われる)「大丈夫」、人の話を聞かない、なんだか自分のことのように感じられないだろうか。
自分が存在に値するという尊厳と、自分が存在しなくてもこの世が回っていくという絶望感との間に、バランスを見つけられなくなってきているところとかも結構おっさんっぽい。
まあたぶん、実際にマカールさんのような中年のおっさんがこの本を読んだら、イライラすることだろう。救いになるような話ではない。
ちょうどマカールさんがゴーゴリの「外套」を読んで怒ったように。生活を覗かれているような、自分がモデルにされているような、そんな気分になるのではないか。
貧すれば鈍するという言葉があるように、「お金がない」という心配があると頭は鈍る。どうしようもなく鈍る(これは私の実体験でもあるし、オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」でも似たようなことが書いてあった気がする。ソースはパッと出せないが)。
ただ、私はなんとなく、マカールさんに関してはその逆で、「鈍すれば貧する」とでも言えば良いのだろうか。鈍さゆえに自分を貧しさに落としている面もあるような気がする。
ここまでマカールさんのことをボロカスに言ってしまった。
ただこの小説の1番いいところは、そんなマカールさんが、お話が進むにつれて明らかに変わっていっていることだ。
特に、この小説の最初のほうに書いていた手紙と、最後の方に書いていた手紙を比べてみたら、変化がよくわかる気がする。
この小説で1番印象的なポイントだったのは、サンクト・ペテルブルクのいろんな通りをマカールさんが歩いた時のことを書いた手紙のところ。
みすぼらしい見た目のマカールさんが、豪華なショッピング通りを馬車で移動する奥様方とすれ違ったり、いろんな通りで物乞いを見たり言葉を交わしたりするのだけど、そこで自分の考えを自分なりに表現し、その通りの情景を描写するところにまで辿り着いている。
ここは本当によかった。
おっさんになろうが人は変われる。そんな難しいことをやりとげたのがマカールさんなのだ。
私もこうして毎日日記ブログをつけているけれど、いつか変わる日が来るのかな?
まあ、私のワルワーラになるような、目標がないといけないか。
ちなみにこの作品は、ドストエフスキーが注目を浴びるきっかけになった作品でもあり、最も時間的余裕を持って制作された作品でもあるらしい。
短いながらも確かに面白い、そんな作品だ。古典新訳文庫版は Kindle Unlimited にも入っているのでおすすめかも。